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- 佐々木喜善 本名 佐々木喜善 生没年 1886-1933 職業 民話研究家 出身地 遠野市 記念館 佐々木喜善記念館(伝承館) 解説 民話研究家。東京遊学(哲学館・早稲田、いずれも中退)...
- 鹿島精一 本名 鹿島精一 生没年 1875-1947 職業 実業家 出身地 盛岡市 記念館 盛岡市先人記念館 解説 鹿島組社長で日本土木建築業連合会会長などを務め建築業界のリーダーとし...
- 金田一京助 本名 金田一京助 生没年 1882-1971 職業 言語学者 出身地 盛岡市 記念館 盛岡市先人記念館 解説 言語学者。アイヌ民族のユーカラを採録し、その解明に一生を捧げた。...
- 宗教 建築家 氏名 葛西万司(かさいまんじ) 本名 生没年 1863-1942 職業 建築家 出身地 平泉町 解説 わが国の建築学の始祖といわれる辰野金吾は葛西の師だが、二人は明治36(...
- 花巻(奥州道中) 花巻城西御門 奥州街道なごりの松付近 花巻は古くから名馬を産するので「花の牧」とよばれ、また北上川が渦を巻き、それに桜の花が散り花巻とよばれるに至ったといわれます。稗貫氏が鳥谷...
- 県名<<岩手>>の由来 岩手(いわて)県 由来 「盛岡市三ツ割の東顕寺(とうけんじ)に注連縄(しめなわ)が張られた三つの大石があり、この石は、岩手山が噴火したときにとんできた石といわれ「三ツ石様」と呼ばれて人々の信仰を...
- 馬町 馬町 盛岡城下に入るのに舟50艘ほどでつくられた北上川の新山舟橋を渡ります。馬町(うままち)は南部特産の馬市が開設され、幕府や諸藩の馬買衆でにぎわいました。
- 町村名の由来 町村名の由来をご紹介します。町村によっては、複数の説が存在しますので、その場合はすべての説を掲載しています。 雫石(しずくいし)町 由来 中世時代は「滴石」と呼ばれたところで 「沈く石(シズクイシ...
- 相去 北上藩境塚 相去(あいさり)町は仙台藩の最北で、中堰などがありましたが宿駅ではなく、藩境の足軽町で番所が置かれていました。屯田兵も配されて三十人町などの地名に名残をとどめており、藩境塚...
- 成田の一里塚 成田一里塚(盛岡から十一里目) 二子一里塚(盛岡から十里目) 成田の一里塚は県指定史跡で、盛岡から数えて十一里にあたり、道の両側に一対の塚が残っています。
- 一関 一関城跡 一関城跡・釣山から見た一関市街 岩手県の南の玄関口、一関宿は一関町と二関町から構成され、宿駅の中心は町屋敷が多い二関町に置かれました。一関藩は田村藩ともいい、西磐井・流・...
- 山ノ目 山ノ目宿問屋 山ノ目宿問屋 山ノ目は磐井川をはさんで一関中心地の西にあり、山ノ目宿からは気仙郡へ今泉街道が、秋田藩院内銀山方面には院内街道が分かれています。
- 無量光院一里塚 無量光院跡 平泉町の無量光院一里塚は国の特別史跡無量光院跡の敷地内にあり、今でも老杉がそびえています。無量光院は平泉全盛時代、藤原秀衡が京都の宇治平等院を模して建立した阿弥陀堂です。院内の荘厳...
- 水沢 市役所前に立つ水沢城跡の案内 上伊沢代官所跡 胆沢地方の要地水沢は中世期から発達した小城下町です。水沢が一地域の名称として代表的に称される契機となったのは、寛永6(1629)年に当地に...
- 金ヶ崎 諏訪小路 金ヶ崎城跡 金ヶ崎町は古代には大和朝廷のエゾ征伐や前九年の役、後三年の役などの戦場となり、近世には仙台藩北限の町として盛岡藩との境を接し、その要害であった金ケ崎城の家中屋...
- 鍛冶丁一里塚(奥州道中) 鍛冶丁一里塚 鍛冶丁(紺屋町5・ハイツグリーンゲーブルス前)には盛岡城下の駅馬と一里元標が置かれ、盛岡藩領内の街道の起点となっていた場所です。藩政時代、上の橋から中の橋にかけて、中津川東岸に沿...
- 市名の由来 市名の由来をご紹介します。市によっては、複数の説が存在しますので、その場合はすべての説を掲載しています。 盛岡(もりおか)市 由来 古くは「不来方」「古志方」、はじめは「森ヶ岡」のちに「森岡」と...
- 鬼柳 鬼柳関所跡 盛岡藩に入ると藩境の鬼柳(おにやなぎ)宿・鬼柳番所があります。