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- 弥生時代の岩手 弥生式土器 石庖丁 弥生時代は約2100年前以前の「前期」、約1世紀以前の「中期」、3世紀以前の「後期」に区分されます。稲作農耕と弥生土器、石包丁・大陸系研磨石斧(せきふ=斧の...
- 岩手の終末期古墳 岩手県の終末期古墳分布図 7世紀に入ると、県内各地に古墳群が作られだします。「終末期古墳」と呼ばれるその特徴は、ほとんどが小規模で群をなし、巨大石室などを持たないことです。近世以降、地元で「...
- 胆沢のクニの始まり 角塚古墳 古墳時代は、4世紀から7世紀の終わりまで続きます。岩手県内でもおおむね同様な展開ですが、その初期は北方からの影響を強く受けています。 東北地方が縄文晩期から弥生時代に転換したころ、...
- エミシの時代 蕨手刀 5世紀後半、中国の歴史書である『宋書夷蛮伝(そうじょいばんでん)・倭国(わこく)条』でエミシははじめ「毛人(もうじん)」と表記され、大和朝廷からみて東国(あずまのくに)に住む人々を指...
- アテルイの時代 悪路王首像 奈良時代の神亀元(724)年に多賀城に国府(律令制度で一国ごとに置かれた国司の役所。国衙(こくが)ともいわれる)と鎮守府(蝦夷を鎮撫するために陸奥国に置かれた官庁)が置かれ、朝廷...
- 「奥六郡」と呼ばれた岩手 延暦21(802)年に造胆沢城使(ぞういさわじょうし)として胆沢(現在の岩手県奥州市)に赴いた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、さっそく胆沢城の造営にとりかかります。それと同時に周辺...
- 奥六郡の盟主・安倍氏と前九年の役 安倍氏系図 11世紀に入って奥六郡を中心に勢力を拡大した安倍氏の出自と政治権力の形成過程については、あまり明確ではありません。ただ、在庁官人(ざいちょうかんじん・在地で鎮守府を代表する立場)...
- 後三年の役と奥州藤原氏の出現 豊田館跡 前九年の役の功労によって康平6(1063)年、清原武則(きよはらのたけのり)は俘囚(ふしゅう・朝廷の支配下に入ったエミシ)としては初めて、鎮守府将軍に任ぜられました。しかしこの官位...
- 奥州藤原氏の時代・初代清衡 中尊寺金色堂 江刺(えさし)郡豊田館(とよだのたち・奥州市)から磐井(いわい)郡平泉(平泉町)に居を構えた藤原清衡(きよひら)は、国府の威光を背景に、積極的な領国経営に乗り出します。当時、奥...
- 奥州藤原氏の時代・二代基衡 毛越寺浄土庭園 大治3(1128)年、清衡が73歳で亡くなると、相続をめぐって長男惟常(これつね)と弟基衡(もとひら)との間に対立が生まれます。基衡は惟常を襲撃し、討ち果たすことで二代目の地...
- 奥州藤原氏の時代・三代秀衡 無量光院跡 嘉応2(1170)年、秀衡(ひでひら)は従五位下に叙せられ鎮守府将軍に任じられました。当時「征夷」の役所としての鎮守府はすでになく、名目上、陸奥守が兼任することになって久しい職で...
- 鎌倉幕府下の奥州 地頭配置図 栄華を極めた奥州藤原氏を滅ぼし、全国統治を完成させた源頼朝(よりとも)は文治5(1189)年、葛西清重(かさいきよしげ)に陸奥国御家人を奉行し、平泉郡内検非違使(けびいし・非法・...
- 南北朝時代の争乱 安倍氏系図 11世紀に入って奥六郡を中心に勢力を拡大した安倍氏の出自と政治権力の形成過程については、あまり明確ではありません。ただ、在庁官人(ざいちょうかんじん・在地で鎮守府を代表する立場)...
- 室町時代の秩序 高水寺城跡 斯波大崎系図 元中8(明徳2・1391)年、室町幕府は奥州を鎌倉府の管轄としました。鎌倉公方の足利満兼(みつかね)は応永6(1399)年に弟の満直(みつただ)を篠川...
- 南部氏と戦国時代 三戸城温故館 大永2(1522)年、伊達稙宗(たねむね)が陸奥国守護職(しゅごしき)に任じられました。このことは、奥州探題制が崩壊し、大崎氏を頂点とする秩序は過去のものになったことを表してい...
- 新都市・盛岡の誕生
- 四つの藩政 藩政時代の岩手県は、盛岡藩・八戸藩・仙台藩・一関藩の四藩の領域でした。 四藩領地盛岡藩と八戸藩 盛岡藩と八戸藩 盛岡藩は10万石(のちに20万石)の外様中藩(加増後は大藩)で、準国持大名南...
- 胆沢城(いさわじょう・奥州市) 場所 奥州市水沢佐倉河字渋田 現在の名称 胆沢城跡 地勢と遺構 北上川と胆沢川の合流地右岸の水沢段丘上、標高50メートル程度の平坦地で、水沢から金ヶ崎(かねがさき)に向かう県道270号西根佐倉河線沿いに...
- 志波城(しわじょう・盛岡市) 場所 盛岡市上鹿妻五兵衛新田48-1 現在の名称 志波城古代公園 地勢と遺構 雫石川右岸に形成された低位段丘面に立地し、かつては川が城の北辺そばを流れていたと思われる。外郭(がいかく)は土を固く積み上...
- 徳丹城(とくたんじょう・矢巾町) 場所 矢巾町西徳田 現在の名称 徳丹城跡 地勢と遺構 北上川西岸の低位段丘上に位置し、正方形の一辺は約350メートルと胆沢城(約670メートル)、志波城(短辺約840メートル)と比べ小規模である。外郭は太さ...