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- 中島の道標 中島の道標 旧道は人首川沿いに進み、高杉塚、玉崎(たまざき)駒形神社前を通り、途中県道から右折し、野手崎(のでさき)道との中島橋の分岐点に至ります。そこには松の木と「右ひとかへ道 ...
- 六百刈田の一里塚 県道がほぼ人首川沿いにその北岸を通るのに対し、中島橋を渡った旧道は県道と全く離れ、川の南側の山裾を人首まで進んでいきます。その間道筋をたどれなくなった所もありますが、六百刈沢(ろっぴゃくがりさ...
- 人首町 人首町 人首館本丸跡 御預足軽町だった馬場を過ぎて人首町の南端に入ります。人首町も岩谷堂同様北の押さえの町で所拝領として沼辺氏が治めていました。町の北の入口に人首番所が置かれ遠...
- 種山高原 種山高原 人首川左岸を進み、二股番所跡で人首川支流の山本川をさかのぼり種山七里塚に向かいます。宮沢賢治が「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どごさが置いだが忘れだ 雨あふる」と詠んだ種山高原は...
- 藩境塚 種山七里塚から南に物見山を迂回しながら行くと仙台領と盛岡領の藩境(気仙と上閉伊郡の群境)に入ります。ここには藩境塚があり、「世田米村元禄絵図」(元禄12・1699年)によると夕日山の南に記されて...
- 世田米 旧道は洪水による道の流失を防ぐため大股川から少し離れた小高い山裾をつたい世田米に入ります。世田米は盛街道の他、南は高田、北は遠野への中継点として栄えた町で現在も古い土蔵が目につきます。
- 長安寺 旧道は白石峠を越え盛川に沿って権現堂橋に向かって東南に進みます。途中に、浄土真宗大谷派で檀家約300戸を擁する東北屈指の大寺院長安寺が左手に見えます。
- 盛 旧道は権現堂橋の手前で国道45号線と合流、橋を渡ると盛宿で街道の終点です。橋に至る手200メートルほどの所が浜街道との分岐点でかつては一里塚がありました。また橋の横には宝暦12(1762)年建立された...
- 鉈屋町 盛岡市街に入り新穀町惣門を出て鉈屋町に入ります。鉈屋町は幅員が昔とほとんど変わらず、面影を残しています。
- 大迫 天保義民の碑 街道はほぼ国道396号と重なっていますが、拡幅や高低をなくすために道路が数メートル掘り下げられているところもあります。高札場(こうさつば)のあった佐比内から1キロほどで大迫町(現 花...
- 達曾部 街道は仲居川沿いに上がり達曾部に入ります。達曾部宿の中程、八幡宮の鳥居で左折し丘の間を通り、稲荷穴への県道と川を横切り山の手に差し掛かると塚の根一里塚があります。道は磔(はりつけ)...
- 千葉家曲屋 遠野千葉家曲り屋 磔峠を下り、高札場のあった上宮守集落、遠野七観音の一つ月見観音の丘の下を通り、遠野との境の小峠を上がります。小峠を下ると道の東側丘の上に豪壮な千葉家の曲り屋が建っ...
- 遠野 遠野下組町枡形跡 旧道は猿ヶ石川を渡り愛宕神社下を通り、遠野の入口下組町の舛形(ますがた)に入ります。柳田国男が「山奥には珍しき繁華の地なり」(『遠野物語』)といい、谷文晁が「遠野入口松並木...
- 和山 三軒茶屋付近の旧道 街道は野崎を過ぎ、和野川沿いに進み堺木(さかいぎ)峠を越えて和山(わやま)に至ります。和山は馬継所で遠野からの農産物と海岸の塩や海産物の交換が行われた重要な地点でした。ま...
- 大槌(遠野街道) 大槌城跡 小槌川に沿って下り現在の古廟橋(こびょうばし)際、神明社の下のあたりで浜街道と一緒になり大槌へ入ります。大槌には、遠野阿曾沼氏の支族で豊富な海産物を背景に隆盛した大槌氏の...
- 仙人峠 遠野から釜石へ行く街道は、早瀬川沿いに行き、上郷(かみごう)・赤羽根(あかばね)峠を過ぎ滑田(なめた)峠を越えます。さらに行くと九十九(つづら)折りの山道で東北の街道屈指の難所、仙人峠を越えま...
- 釜石甲子町 釜石甲子町の中堰 街道は甲子(かっし)川沿いにほぼ国道と重なり、甲子町に入ります。甲子町には当時の中堰が道の真ん中を通っていますが、岩手県内で中堰がこのような形で残っているのはここだけです。...
- 新穀町惣門 「惣門」は盛岡城下の出入口で、人馬の警備や「出女」「入り鉄砲」等の取り締まりを行った場所です。木津屋本店前にある城下南の新穀町惣門は奥州街道、遠野街道、宮古街道の出入口でもあり、重...
- 高畑の一里塚 高畑の一里塚 街道は簗川(やながわ)の近くで国道106号線と併走、砂留(さだまり)の市道との交差点に「右ハみやこしんみち 左ハみやこみち」と刻まれた道標(弘化2・1845年)があります。簗川沿いに進...
- 兜明神社 兜明神社 ずっと東に進み、盛岡市と旧川井村の境となる区境(くざかい)峠に入ります。北側に山頂がとがって印象的な姿の兜明神嶽(かぶとみょうじんだけ)があります。街道は閉伊七社の一つで蒼前信仰の...