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- 夕顔瀬橋(鹿角街道) 鹿角(かづの)街道は盛岡の夕顔瀬橋(ゆうがおせばし)に始まります。明暦3(1657)年に架橋、明和2(1756)年には北上川に中島を築く中継式架橋となり、現在の橋の基となっています。橋の維持のため鹿角街...
- 滝沢分レ 盛岡の夕顔瀬橋を渡って秋田街道と分かれ、安倍舘、一本木(いっぽんぎ)野、大更(おおぶけ)野、巣子(すご)を過ぎ分レに至ります。奥州街道が現国道4号線の道筋になって以来、鹿角街道との分...
- 寺田 平舘と寺田の間にある山崎一里塚 寺田の街並 寺田の北の野口一里塚 八幡平市に入り、旧道は最初の宿駅田頭へ延び、平館(たいらだて)、寺田(現 寺田西根)に至ります。寺田は馬継所...
- 七時雨山 白坂観音堂跡 車ノ走峠から見た七時雨山 八幡平市の西根寺田から七時雨(ななしぐれ)山を目指します。七時雨一里塚は七時雨山西側中腹の通称南台に、ほとんどその原形をとどめたまま市...
- 荒屋新町 旧街道(左)と現在の国道282号線(右) 町内に残る旧道 山道を下り荒屋新町(あらやしんまち)に入ります。旧道は町裏の山裾を通っていて木立の中に荒屋一里塚が残っています。 馬継所で...
- 田山 曲田一里塚 地蔵寺の供養碑 田山関跡 荒屋新町から曲田(まがた)集落を過ぎ、安比川、米代川の分水嶺を越え、苗代沢(なしろざわ)から一山越えて田山に入ります。 町の西側台地は...
- 花巻(平和街道) 花巻城大手門跡 花巻南城小学校松並木 奥州街道と岩崎街道を分岐する地点が花巻市の南城小学校校庭にあり、今でも松並木が残っています。当時花巻宿から岩崎宿に設けられた「物留御番所」...
- 岩崎 岩崎宿(北上市)は、戦国期この地方を治めた和賀氏の一族岩崎氏が本拠とした所で、慶長5(1600)年南部氏に反抗して起こされた岩崎一揆の舞台でもあります。また国の重要無形民俗文化財に指定されている鬼剣...
- 峠山一里塚 岩崎から街道は西に向かい、煤孫(すすまご)、瀬畑、岩沢を過ぎ仙人峠を越え、現在の峠山牧場を通って西和賀町の川尻に至ります。仙人峠から川尻までの区間は錦秋湖の湖底に沈んでしまいました。町指定史跡...
- 白木峠 標高601メートルの白木(しらき)峠は盛岡・秋田の藩境にあります。秋田藩に残された文書には湯田・沢内村(現 西和賀町)と秋田の山内村(現 横手市)との密接な交流の跡がうかがえます。秋田からは木綿・塩・身...
- 越中畑御番所跡 川尻から和賀川に沿って、湯本、槻沢(つきざわ)を北上し、そこで和賀川を渡り、芳ヶ沢を経て越中畑に至ります。ここまでが盛岡藩領で藩の番所がありました。
- 鍛冶丁一里塚(秋田街道) 一里塚 ござ九 秋田街道の起点は盛岡城下の鍛冶丁(紺屋町5・ハイツグリーンゲーブルス前)の元標で、同時に鍛冶丁は、盛岡藩領内の街道の起点となっていた場所です。藩政時代、上の橋から...
- 中の橋 中の橋は上の橋・下の橋とともに架けられた盛岡城と河南地区を結ぶ橋で、慶長16(1611)年に架設されました。架設当時は城と直結する武士専用の橋で、町人の通行は許されていなかったといわれます。また、当...
- 夕顔瀬橋(秋田街道) 街道は中の橋から日影門(現在の北日本銀行本店周辺)を通って、夕顔瀬橋に至ります。明暦2(1656)年に架設された夕顔瀬橋は盛岡城下の北の玄関口で、藩は材木町に惣門を設け、御番所を置いていました。また...
- 厨川稲荷神社 夕顔瀬橋から新田町の枡形、雫石川の沢田の渡し(太田橋)のたもとに出た街道は、雫石川北岸を西に向かい、現在の国道46号線からそれて、厨川稲荷神社(稲荷町6・盛岡自動車学校北側)の前を進み、前潟に至り...
- 日向の一里塚 街道が現在の国道と出会うのは滝沢村大釜字竹鼻(JR大釜駅入口交差点付近)で、竹鼻から先は現国道と重なり、中道(滝沢村大釜字中道131)に「日向の一里塚」が現存しています。この一里塚は東西径約8メー...
- 板橋の追分石 仁沢瀬川を渡った街道は、雫石庄に入ります。仁沢瀬の坂を登ると、長山街道入口交差点に「板橋の追分碑」があります。碑は明和6(1769)年の建立で、「右 長山道 右 雫石町道 左 秋田往来 ...
- 生森一里塚 西進した街道は、繋(盛岡市)への渡しと番所があった尾入を過ぎ、生森山と塩ヶ森の間の「生森の一里塚(雫石町22地割字七ツ森)」に達します。国道46号線をはさんで現存する生森の一里塚は原形をよくとどめ...
- 掘割 堀割 JR雫石駅付近 生森の一里塚を過ぎ、街道は現国道(雫石バイパス)と旧国道(雫石町内に向かう県道)の間の農道を通って、八幡宮のある雫石城址の堀割から本丸南側を行く旧国道とは...
- 雫石通代官跡 中世期には滴石(戸沢)氏の勢力下にあった雫石には滴石(雫石)城がありました。戸沢氏が滅亡した天文9(1540)年以降、高水寺(紫波町)の斯波氏の一族が一時占拠しますが、天正14(1586)に三...