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- 野田(久慈野田街道) 白石(しろいし)峠、小峠、ナメリ沢を越え、長坂を下り、野田通代官所前を通って宇部の街に入ります。宇部川の左岸丘陵沿いを通り野田へ至ります。三陸鉄道北リアス線陸中野田駅前には街道を行き交った牛方...
- 平田 平田御番所跡 釜石市指定文化財の盛岡藩平田(へいた)御番所跡は仙台藩との藩境の石塚峠から海岸に下りた所にあります。ここは嘉永6(1853)年の三閉伊(さんへい)一揆の際、打ち壊しに遭いました。
- 大槌城址 大槌城址 嬉石(うれいし)、鳥谷坂(とやさか)、両石坂(りょういしざか)、鵜住居(うのすまい)町を過ぎ、小槌川を渡り大槌町に入ります。背後の山の大槌城は中世山城の姿をよくとどめていて、その下...
- 絵入り道標 大槌川を渡ると道は二つに分かれます。辺津ヶ沢(へづがさわ)~鯨峠~織笠川支流沿い~霊堂一里塚~織笠コースと安渡(あんど)~吉里吉里(きりきり)~浪板(なみいた)~四十八坂~船越~織笠コースです...
- 山田 大沢の六角塔 国道と合流して山田に入ります。三閉伊一の漁場と『三閉伊日記』に記されており、昔も今も漁業の町です。鞭牛和尚の道供養碑「大沢の六角塔」は山田湾沿いの国道の近くに立っています。津軽...
- 宮古(三陸浜街道) 豪商・東屋 閉伊(へい)川を渡り宮古へ入ります。入り口は藩の水丁(かこ=水夫)が住んでいた御水丁で、町の中程東側に豪商東屋の古い建物が残っています。道は横町に突き当たり、左が宮古街道、右が浜...
- 田老 追分け碑 山道や坂道を通り、栃ノ木坂を下り田老へ入ります。何度も津波に襲われたこの町は防潮堤に囲まれており、旧道の一部もその下にあります。
- 普代 大田名部の神社 田野畑村の羅賀(らが)を出て机・北山・黒崎から大田名部(おおたなべ)へ下り、さらに山越えして普代に入ります。
- 田野畑 一揆の像 小本町を過ぎ、田野畑(たのはた)村に入ると隆起海岸段丘を深く抉る槙木沢(まぎさわ)渓谷と松前沢渓谷の大難所があります。旧道は折れ曲がった道で谷底に下り登りましたが、今は大アーチ橋が...
- 野田(三陸浜街道) 十府ヶ浦 村境となる亀割石を通り安家(あっか)川の谷に下ります。玉川を渡り、西行が庵を結んだという西行屋敷を通り、十府ヶ浦へ進みます。玉川は伊能忠敬が測量日記に「玉川は六玉川の一也」と記して...
- 久慈(三陸浜街道) 北野地区 粒来地区 野田五日町、長内を通り、長内川を渡り久慈に入ります。久慈川、夏井川を渡り、藩営九牧の一つ北野牧の跡を進み、高家(こうけ)川を渡って粒来(つぶらい)番所跡に進...
- 鹿糠の道標 鹿糠の道標 洋野町粒来(つぶらい)から海沿いを北上し、小子内(おこない)、大谷(おおや)鉄山からの鉄の積出港の八木等を経て、「右ハ八戸道 左ハ山道」と刻まれた鹿糠(かぬか)の道標(...
- 夕顔瀬橋(鹿角街道) 鹿角(かづの)街道は盛岡の夕顔瀬橋(ゆうがおせばし)に始まります。明暦3(1657)年に架橋、明和2(1756)年には北上川に中島を築く中継式架橋となり、現在の橋の基となっています。橋の維持のため鹿角街...
- 滝沢分レ 盛岡の夕顔瀬橋を渡って秋田街道と分かれ、安倍舘、一本木(いっぽんぎ)野、大更(おおぶけ)野、巣子(すご)を過ぎ分レに至ります。奥州街道が現国道4号線の道筋になって以来、鹿角街道との分...
- 寺田 平舘と寺田の間にある山崎一里塚 寺田の街並 寺田の北の野口一里塚 八幡平市に入り、旧道は最初の宿駅田頭へ延び、平館(たいらだて)、寺田(現 寺田西根)に至ります。寺田は馬継所...
- 七時雨山 白坂観音堂跡 車ノ走峠から見た七時雨山 八幡平市の西根寺田から七時雨(ななしぐれ)山を目指します。七時雨一里塚は七時雨山西側中腹の通称南台に、ほとんどその原形をとどめたまま市...
- 荒屋新町 旧街道(左)と現在の国道282号線(右) 町内に残る旧道 山道を下り荒屋新町(あらやしんまち)に入ります。旧道は町裏の山裾を通っていて木立の中に荒屋一里塚が残っています。 馬継所で...
- 田山 曲田一里塚 地蔵寺の供養碑 田山関跡 荒屋新町から曲田(まがた)集落を過ぎ、安比川、米代川の分水嶺を越え、苗代沢(なしろざわ)から一山越えて田山に入ります。 町の西側台地は...
- 花巻(平和街道) 花巻城大手門跡 花巻南城小学校松並木 奥州街道と岩崎街道を分岐する地点が花巻市の南城小学校校庭にあり、今でも松並木が残っています。当時花巻宿から岩崎宿に設けられた「物留御番所」...
- 岩崎 岩崎宿(北上市)は、戦国期この地方を治めた和賀氏の一族岩崎氏が本拠とした所で、慶長5(1600)年南部氏に反抗して起こされた岩崎一揆の舞台でもあります。また国の重要無形民俗文化財に指定されている鬼剣...