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- 斎藤実 本名 斎藤實 生没年 1858-1936 職業 首相・海軍大臣 出身地 水沢市(現 奥州市) 記念館 水沢市立斎藤實記念館 解説 明治39(1906)年西園寺内閣海相以後、大正3(191...
- 石川啄木 本名 石川一(はじめ) 生没年 1886-1912 職業 詩人・文学者 出身地 玉山村(現 盛岡市) 記念館 (財)石川啄木記念館 解説 岩手を代表する国民的詩人。生前刊行され...
- 後藤新平 本名 後藤新平 生没年 1857-1929 職業 政治家 出身地 水沢市(現 奥州市) 記念館 水沢市立後藤新平記念館 解説 台湾総督府民政局長(のち民政長官)として民政統治の確...
- 御堂の一里塚 御堂一里塚 御堂の一里塚は東側が岩手町、西側が一戸町に属しています。御堂も渋民同様、明治22(1889)年町村制施行により御堂村、昭和30(1955)年合併により岩手町となっています。
- 福岡 九戸城跡 福岡は二戸市の中心部です。ここと一戸は郡内の二大宿場として栄えました。天正19(1591)年九戸政実が滅亡した後、一時南部氏が居城し宮野を福岡と改めました。福岡宿から右折して八戸城...
- 金田一 金田一の街並 昭和47(1972)年旧福岡町と合併し二戸市となった村ですが、馬淵川西岸に発達した宿場です。
- 民謡雑学「東北民謡の父・武田忠一郎」 武田忠一郎の生い立ち 武田忠一郎 明治25(1892)年5月、遠野の士族の家に生まれ、父祖二代が教育者という厳格な家庭に育った。県立遠野中学校(現在の遠野高等学校)に進み、明治43(1910)年に岩手師範...
- 十文字の道標 十文字の道標 盛街道は奥州市水沢区乙女川に架かる不断(ふだん)橋から北北東に進み、JR東北本線を越え国道45号の十文字に達しますが、ここまでは奥州街道と兼ねています。十文字の道標に「右岩や堂 ...
- 下川原 愛宕神社 北上川を渡ったところが、仙台藩の御蔵が置かれ重要な河港だった下川原です。現在の下川原には舟運で栄えた面影はありませんが、舟運関係者の信仰の厚かった愛宕神社には千石船の絵馬があり当時...
- 岩谷堂 旧岩谷堂共立病院 街道は国道と重なって岩谷堂に向かいます。岩谷堂市街地の一日市(ひといち)町、川原町を過ぎ、人首川沿いに行き増沢橋を渡ると洋風建築の明治記念館が見えてきます。これは岩手県初の...
- 中島の道標 中島の道標 旧道は人首川沿いに進み、高杉塚、玉崎(たまざき)駒形神社前を通り、途中県道から右折し、野手崎(のでさき)道との中島橋の分岐点に至ります。そこには松の木と「右ひとかへ道 ...
- 六百刈田の一里塚 県道がほぼ人首川沿いにその北岸を通るのに対し、中島橋を渡った旧道は県道と全く離れ、川の南側の山裾を人首まで進んでいきます。その間道筋をたどれなくなった所もありますが、六百刈沢(ろっぴゃくがりさ...
- 人首町 人首町 人首館本丸跡 御預足軽町だった馬場を過ぎて人首町の南端に入ります。人首町も岩谷堂同様北の押さえの町で所拝領として沼辺氏が治めていました。町の北の入口に人首番所が置かれ遠...
- 種山高原 種山高原 人首川左岸を進み、二股番所跡で人首川支流の山本川をさかのぼり種山七里塚に向かいます。宮沢賢治が「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どごさが置いだが忘れだ 雨あふる」と詠んだ種山高原は...
- 藩境塚 種山七里塚から南に物見山を迂回しながら行くと仙台領と盛岡領の藩境(気仙と上閉伊郡の群境)に入ります。ここには藩境塚があり、「世田米村元禄絵図」(元禄12・1699年)によると夕日山の南に記されて...
- 世田米 旧道は洪水による道の流失を防ぐため大股川から少し離れた小高い山裾をつたい世田米に入ります。世田米は盛街道の他、南は高田、北は遠野への中継点として栄えた町で現在も古い土蔵が目につきます。
- 長安寺 旧道は白石峠を越え盛川に沿って権現堂橋に向かって東南に進みます。途中に、浄土真宗大谷派で檀家約300戸を擁する東北屈指の大寺院長安寺が左手に見えます。
- 盛 旧道は権現堂橋の手前で国道45号線と合流、橋を渡ると盛宿で街道の終点です。橋に至る手200メートルほどの所が浜街道との分岐点でかつては一里塚がありました。また橋の横には宝暦12(1762)年建立された...
- 鉈屋町 盛岡市街に入り新穀町惣門を出て鉈屋町に入ります。鉈屋町は幅員が昔とほとんど変わらず、面影を残しています。
- 大迫 天保義民の碑 街道はほぼ国道396号と重なっていますが、拡幅や高低をなくすために道路が数メートル掘り下げられているところもあります。高札場(こうさつば)のあった佐比内から1キロほどで大迫町(現 花...