いわての城・館 いわての城・館イメージ

岩手県内には数多くの城・館跡が残っています。その数は、場所が確認されたものだけでも、千数百箇所に及びます。その中から歴史上の出来事や文献に登場する主な城・館について紹介します。
※一部県外のものも含まれます。
  エミシの時代
北上川中流域の「胆沢(いさわ)」の地が史上に現われてくるのは、朝廷の東北経営の北進に伴い、8世紀後半の宝亀(ほうき)7年(776)のことである。この時期は、律令政府の攻撃目標が陸奥(むつ)国最大のエミシ勢力の拠点「胆沢の地」にしぼられてきた段階で、以後延暦(えんりゃく)20年(801)まで、古代国家と阿弖流為(あてるい)・母礼(もれ)を中心としたエミシ軍との戦いが展開する。

エミシの時代・地図


  安倍氏の城柵
胆沢地方を本拠地とした安倍(あべ)氏は、頼時の代になって勢力を一層増し奥六郡の支配を固めた。領内各所に柵を設け、貞任(さだとう)ら子どもたちや家臣が各地を領有する体制を築く。これに対して朝廷は源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)を遣わしてこれを制圧しようとする。こうして「前九年の役」のが始まり、秋田・清原(きよはら)氏の助力を得た源氏は安倍氏を破り、安倍氏を滅亡に追いやる。

安倍氏の城柵・地図
  【その他の城柵】
  • 嫗戸柵(おばとのさく・盛岡市)
  • 比与鳥柵(ひよどりのさく・紫波町)
  • 鶴脛柵(つるはぎのさく・花巻市または奥州市)
  • 黒沢尻柵(くろさわじりのさく・北上市)
  • 白糸柵(しらいとのさく・金ヶ崎町)
  • 小松柵(こまつのさく・一関市または奥州市)
  • 河崎柵(かわさきのさく・一関市)
※1 「鳥海柵」以外の場所は擬定地(推定した地)であり、考古学的にその場所が特定できていません。
※2 「その他の城柵」は関連した文献が少なく、詳細が不明なため、リストのみの掲載となります。


  中世の城館
藤原氏の滅亡後、鎌倉幕府の支配地となる奥州。関東御家人やその家臣らが勢力を増し、南北朝の争乱を経てやがて糠部(ぬかのぶ)は南部(なんぶ)氏が、高水寺(こうすいじ)は斯波(しば)氏が、鳥谷ヶ崎(とやがさき)は稗貫(ひえぬき)氏が、二子(ふたご)は和賀(わが)氏が、遠野は阿曽沼(あそぬま)氏が支配を固める。宮城・石巻には葛西(かさい)氏があって北をうかがう。
しかし豊臣秀吉の奥州仕置によって勢力図は一変、小田原に参陣した南部・伊達の2氏が本領を安堵(あんど)され、他氏は滅亡への道をたどることになる。

中世の城館・地図


  藩政時代の城・要害
一国一城令によって多くの城が破却されたのが江戸時代である。しかし藩境を接しけん制しあう盛岡・仙台両藩は各地に「城」とは呼ばない屋敷や要害(ようがい)を建てて有事に備える。遠野・一関の両支藩も城を構えて守りを固めた。